映画「パリ20区、僕たちのクラス」を観てみた

大人って何だろう? 子供って何だろう?

日本では、法律上は20歳で「成人」として扱われる。しかし、「成人」イコール「大人」ではない。成人でも「子供だ」と言われるし、未成年でも「大人だ」と言われることもある。

僕が「パリ20区、僕たちのクラス」を鑑賞した後にすぐやったことは、「平等」を辞書で引くこと、次に「大人」と「子供」の違いについて考えることだった。

この映画は、現役教師のフランソワ先生が教師役で出演し、フランスにあるごく普通の中学校の1クラスの1年間を描いた映画だ。カンヌ国際映画祭最高賞受賞作でもある。

最高賞受賞作であるが、正直に言って、この映画は万人にはお勧めしかねる。特に目立った起伏もなければ、シーンを盛り上げるBGMも演出もないからだ。涙するシーンもない。普通の映画とは違う。多くの学校ドラマにあるような生徒との絆とか恋愛とか、そういったものはこの映画にはない。

代わりにあるのは、教育の現場における「リアル」である。

だから、教室で問題を起こしたスレイマンという生徒は退学処分になる。それを食い止めるためにフランソワ先生は努力するが、その努力は報われることなく、結局スレイマンは退学になってしまうのだ。教育の現場から退場する生徒の姿が、リアルに描写されている。

罪を犯せば裁きを受けるのは、「平等」である。


びょう‐どう〔ビヤウ‐〕【平等】 (大辞泉)

[名・形動]かたよりや差別がなく、みな等しいこと。また、そのさま。「利益を―に分配する」「男女―」


こうみると、学校とは「平等」な場であるように思える。しかし、フランソワ先生自身をはじめ、生徒たちは平等なんて望んではいない。だから、スレイマンの退学が決まりそうなとき、別な生徒は退学を食い止めるようフランソワ先生に訴えたし、先生だって努力した。不平等である。

だが、自分が不満に感じる不平等には、一人前に先生に文句を言う。「あいつを差別している」「あいつだから褒めたんだ」等と。

先生だって負けてはいない。差別用語だって使うし、生徒によって態度も変わる。規則を教えるはずの先生が、禁煙の場所でタバコを吸って掃除のおばちゃんに怒られる場面だってある。

なんだ、教師も生徒も大して変わらないじゃないか。そう、大して変わらないのである。

だからフランソワ先生は生徒の意見を良く聞くし、授業そっちのけにして議論を優先させたりもする。意見がTPOに合っており、論理的であり、有意義であるかどうかをジャッジしてコメントする。

先生のこのスタンスは、教師と生徒という立場抜きに、人間としての平等を実現させようとしている。

この映画においては、教師と生徒、大人と子供に大きな違いはなく、両者は個人として平等なのである。だが、個人として平等に扱うということは、社会的には不平等な場合だってある。それが退学の一件であり、先生と生徒の行動でもある。

ここまで読んで「大人って何だろう?」「子供って何だろう?」と疑問に思った人は、ぜひこの映画を観て色々と考えてみてほしい。ここで挙げた例以外にも、大人と子供の違いや、平等の意味について考える場所はたくさんある。

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