行為に酔うということ

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タイトルから卑猥な想像をした人、先生怒らないから素直に手を挙げなさい。

先のエントリーにも関連することですが、「行為に酔う」という状態に陥っている人を古今東西問わずよく見かけます。創作畑なんて特に多い

具体的に言うと、「喫茶店で小説書いてる俺カッケエエエ!!」だとか「電車でノートPC広げてる俺カッケエエエ」とかを素で思ってやっちゃうことです。

確かに喫茶店で小説を書いてる小説家は居ますし、電車の中でやむを得ずメールの返信をするようなサラリーマンの方もいらっしゃいますが(ブラック企業臭がしますが)、基本的にどう考えても時間が余ってそうな大学生がわざわざ電車の中でノートPC広げてまでやる作業は無いと僕は思います。そしてだいたいそういう学生に限って、ノートPC使ってやってるのはTwitterだったりする。

そもそもの問題として、なぜそこまでしてノートPCで作業をしなくちゃならないのかが理解に苦しむ。いつから君たちはそこまで時間に追われるようになったのだ、と。自宅にデスクトップがある人とか、大学に行けば環境があるのならどう考えてもそっちで作業すれば良いじゃないか、と僕は思ってしまう。

なぜ彼らはそこまでして外の作業にこだわるのか。その理由は、もちろん全員が全員とはいいませんが、そういう場所で作業をしている自分がカッコイイと思っちゃってることにあると思います。これじゃあ作業もやめられないわけだ。

そういう人たちは作業をパフォーマンスか何かだと勘違いしてるのではないかと僕は思うのです。何が言いたいかというと、作業そのものに価値があるのではなくて、作業してる自分に価値を見出してるんです。これが何を意味するかというと、自分の立場が崩れ去ると、その作業自体に興味が無くなるということを意味します。つまり、「喫茶店で原稿に追われる自分」という姿が何らかの事情で演出出来なくなったとき、そういう人は小説を書く意味を見出せなくなります。音楽でも一緒ですね。何らかの肩書きや人脈、環境を維持出来なくなったとき、それでも泥臭く音楽をやろうと思えない人は、所詮「音楽やってる自分」という行為に酔っていただけだと言えると思います。

実力が伴わないのにプライドだけ高い人とかは大概このパターンなので、そういう人には寄り付かないのが吉だと僕は思っています。

という、長い自戒でした。

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