有川浩の「塩の街」の文庫版(角川)を読んでる。
「塩の街」がいわゆるラノベにカテゴライズされるかどうか、という問題は置いておくとして、僕が電撃文庫をはじめとするとライトノベルに手を出した初めての作品、つまりこの道に足を踏み入れた最初の作品が「塩の街」だ。
この作品が有川浩という高知の作家が書いたものであり、「自衛隊三部作」と称された作品が他二つにあり、「海の底」「空の中」も傑作であることを知ったのはそれから2~3年後になる。
◆有川浩のルーツを感じることができる作品
作者があとがきで云うように、この作品は「好きな人が死ぬ代わりに世界が救われる」or「世界が滅びるけど好きな人と最期まで居られる」の二択があったとき、どっちを選ぶか……という命題に従って書かれたものです。
有川浩が初めて書いた作品でもあって、その後の著作「海の底」「空の中」「クジラの彼」「阪急電車」「シアター!」「Story Seller」収録の3作、「図書館戦争」「レインツリーの国」を立て続けに読んできた僕にとっては、彼女のデビュー作は確かにある種の「拙さ」を感じる作品でもあったように思います(上から目線に聞こえますが、良い形容が思いつかなかったので許してください)。
だからこそ、有川浩のルーツを感じることもできる(これもあとがきで作者は言っています)、と僕は思います。
有川浩の文体は独特だと僕は思います。
あの人の書く小説は三人称だが三人称でない小説です。
普通一人称といえば「俺は居心地が悪くなって、ペットボトルのジュースをわざと大げさな動作で飲み干した」みたいな表現、つまり主人公の考えていることの披露と、場面の描写を、主人公の自我を通して語ります。
一方三人称は、「彼女は眉間に皺を寄せて言った」とといった具合に、客観的に見て起こったことを、客観的に描きます。
一人称の良いところは、「主人公の心情が分かること。主人公と読者が一体化して読めること。感情移入しやすいこと」といわれ、三人称は「客観的に物語が見えること。主人公達の裏側で起きていることも分かること。伏線などが貼りやすい」などと言われています。別なパターンでは、三人称だけど一人称、つまり主人公の心情だけは表記して、後は三人称……というハイブリッドなものもありますが、有川浩の文章はそのいずれにも含まれません。
もちろん作品にもよりますが、この作家が書く文章は、基本的に全ての登場人物の心情が透けて見えます。(有川浩はこれを「物語を透明なカメラで見させてもらっています」と表現しています)
そして更に面白いのは、登場人物の考えていることが吐露されるのではなく、登場人物の考えを超えた客観的な考察がするっと文章の中に入っていることです。
一人称だけど三人称であり、三人称だけど一人称なのです。この書き方が面白い。
ストーリーやキャラクター設定、プロットなどのコンテンツはもちろん上手い。けどそれ以上に、有川浩という作家は、それらのコンテンツを自分にとって一番良い形で伝える文体(=デリバリー)を持っているんですよね。
これが、僕が有川浩を尊敬できる理由でもあり、この人の作品を好きになれる理由なんだなぁと、「塩の街」を読んでいて改めて気付かされました。
◆今と昔の、作品の感じ方の違い
さて、この作品は僕が高2のときに読んだ作品で、まぁなんと恥ずかしいことにmixiに僕の感想が書いてありました。
いやー、恥ずかしいですね。
「愛は地球を救う、それは綺麗事に聞こえるけども、やっぱり最後は綺麗事が地球を救うんだ」
みたいなことを書いてありました。恥ずかしいwwwwwwwwwwww
当時の自分はどうやら、「自分が死ぬかもしれない、相手が先に死ぬかもしれない」という状況において、それでも愛を信じることが出来た二人を称賛していたようです。それ以外にはあんまり考えてなかったみたいですね。
まぁ確かにそれもそう思うし、確かに称賛すべきものなぁとは思いますよね。
ただ、初めて読んでから5年経った僕が改めて本編を読み終えたときの感想は、「非常事態ってスゲーよなー」という、ある意味冷めた感想だったりもします。
あとまぁ「真奈可愛いよなぁ」とか「こういうヒロイン書きたいなぁ」とか「やっぱり正論優男と感情論ワイルド男のペアはここから健在かー」とか、読者としての自分と書き手としての自分が主観・メタ両方で感想を言い合うような事態になってたりもします。
話を戻して、非常事態。今更になってこの小説の設定を言うと、
- 空から塩の塊が降ってきた
- 塩の塊を見た人は死ぬ
- 人が死にすぎて、日本は政治・交通全てマヒ、人口は1/3に減少
という割りと末期な設定になっています。その状況で、主人公の秋庭(28)とヒロインの真奈(18)が同棲している。
実にけしからん事態ですが、非常事態故の緊急避難措置なわけですね。
さて、この緊急避難的措置から恋が生まれるわけですが、これはヒロインからすると結構なパラドックスを抱えていることになります。
- (マイナス面)このような非常事態が起きなければ、親も死なず、平凡で楽しい日々を送ることが出来た
- (プラス面)このような非常事態が起きなければ、自衛隊の二尉である秋庭と恋に落ちることは絶対なかった
この二つの対立というのは、現実世界でも数多く突き付けられ、小説をはじめとする創作の世界でも数多く扱われています。
過去を変えることで何かの事件を回避したが、結果としてより深い苦しみを味わう、というのも物語では多く見られる構図です。
有川浩は確かに、「恋人と世界どっちを優先するか」みたいなテーマで話を書き始めたと言っていますが、僕はこの作品を通じて、
「悲劇が起こったとき、同時にかけがえの無い副産物を得たとする。そのとき、その悲劇を受け入れて肯定し、かけがえの無い副産物をこれからも大切にすることができるか?」
というテーマが隠れているように感じました。
ちなみに、僕は物語を書くときや読むとき、「作者はこのようなテーマを伝えたいと思っていた」とか「伝えたいことを書く」とか云うのは大っ嫌いです。要するに高校の現国ファックってことです。
物語の受け取り方は読者が決めるべきであり、作者は読者に対して問題提起をするに過ぎない、と僕は思うのです。小説は読者を説得する道具ではないと思います。
だからあくまで作品におけるテーマとは、「さて、こうなったときみなさんどうしますか?」という投げかけか、良くても「僕はこの件についてこのように考えますが、みなさんどう思いますか?」という問題提起がテーマであるべきだと思います。
なので、物語を書くハウツー系の講座とかで、「伝えたいことを考えよう」とか書いてあるハウツーは根本的に何かがおかしいと思って信用しないことにしています。そういうのは論文でやれば良い。
◆みんなも考えてみてほしい
さて話が思いっきりそれましたが、さっきのテーマについて僕も考えてみました。
悲しいことばかりじゃなくて幸せなこともある。じゃあ、幸せなことでその悲しいことを相殺できる? という命題。
理性的に考えれば、「悲劇は失ったものであり、二度と帰ってくるものではない。だからこれからの幸せを重んじるべき」というのが答えなのですが、本当にそう考えることができるのか、自分ではとても疑問です。
何だかんだで僕は過去を引きずる人間であり、喪失感とコンプレックスを原子炉で燃やしているような人間です。
だから多分、悲劇の後にどんな大きな幸せがあっても、その幸せを甘受することはできないんじゃないかと思いました。
本当の意味での幸せを味わったことがあれば、これについての感想も変わってくるのかなぁ。
みなさんのご意見をお待ちしております。
はじめまして
全部読ませてもらいました。
とても面白い感想で、いつもは最後まで読まない私が最後まで楽しく読むことができました。
私は有川浩さんの書く作品が大好きで、1度他の人は有川浩さんをどう思っているのか知りたかったから神乃木さんの感想を読むことができてよかったです。
<一人称だけど三人称であり、三人称だけど一人称なのです。そこが面白い。
そうなんです!!
あのなんとも言えない一人称と三人称の使い分けがあって有川浩さんの面白さが出るんです。(面白さと言ったら失礼ですね…すみません)
他の作家さんにはあまりないこの書き方が有川浩さんだと思っています。
神乃木さんは高2のときに読んでからと5年後に読んだ今で思ったことが違うと言っていますね。
私は有川浩さんの作品に出会うのが遅かったからまだ5年後とかじゃないのでいま思った感想を大事にして5年後、もう一度新しい気持ちで読んでみたいです。
<「愛は地球を救う、それは綺麗事に聞こえるけども、やっぱり最後は綺麗事が地球を救う。」
この感想のどこが恥ずかしいんですか!?
私はいいと思います。
純粋だなぁ、綺麗だなぁと思いました。
たとえ今思うことと違ってもいいと思います。
本はそういうものだと思います。
有川浩さんに対する他のかたの考えが知れてよかったです。
言葉があまりまとまらずすみませんでした。
このコメントは自己満足にすぎません。
レインツリーの国じゃないけど、一方的に話してごめんなさい。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
感想を見ながらまさにレインツリーの国を思い出していたので、最後の1行で思わず笑ってしまいました。
そうですね。小説の中だからこそ純粋なのが許されて、綺麗なことが通るんですよね。
文体についてはおっしゃるとおりで面白いですよね。初期の作品ながらしっかりとその要素が入っているのが流石だなぁと僕も思いました。
コメントを頂いたので元記事を読み直しましたが、この記事自体書いたのが半年ほど前だったので、改めて記事を読むと「あぁ、なるほどこの時はこういうことを感じていたのか」なんて思ってしまって、そこから半年前に何を考えていたかなんてのも考えてしまって、一人で苦笑いをしていました。半年で考えは変わるものですね。
この記事では5年間で考えは変わるみたいなことを言っていて、それを図らずも半年で再び証明する形になってしまったのが面白いです。
本に限らず映画でも音楽でも、後になって読みなおす、見直すのは色々な発見があって楽しいですよね。
こちらこそ、自己満足な感想にレスを下さってありがとうございました。
今後共よろしくお願いいたします。
初めまして。
「塩の街」の感想を読ませていただきました。
非常に素敵な視点、感性をお持ちですね。
読んでいるとき、私も作者の独特な視点については同感でした。
ですが、隠されたテーマを見つけていく、ことに関してまでは気づけなかったので、なるほど、と新しい物語を楽しむ視点ができましたね。
実をいうと私はまだ中3の受験生です。
ふと書店に立ち寄って前から気になってた「塩の街」を買い、読み始めました。
もと有川さんが好きでしたので。
有川さんの話はほかの小説家とはどこか違うんです。
心情がすごく読み手に伝わりやすく、主旨もはっきりしています。
そしてシリアスな中にも恋愛要素なんかも含まれて、やっぱり思春期なので楽しめますね。
有川さんの場合、思春期じゃなくても、でしょうか。
北海道の田舎で受験戦争もなく、親には勉強しろなんて言われますが今もなお塩の街を読んでいます。
簡単に言ってしまえばまだ読み終えていないのです。
5年ぶりに読んだ人と今初めて読み終える人の有川さんの本に対する印象は、どういうところが同じでどこが変わっているのか、違うのか。
考えるきっかけになりました。
長々とすみません。
ありがとうございました!
コメントありがとうございます。有川さんの文章が伝わりやすいのは僕もすごくわかります。
5年前と書いたとおり、僕が「塩の街」を読んだのは高校2年か3年くらいなので、当時の僕にはすごく響いてくるものがあったように思います。
今年受験、ということであれば2月中旬~3月頭くらいで一区切りつく感じでしょうか?
北海道は寒いと思いますので、体調を崩さないようにがんばってくださいね。
いつもは、人の感想を読んでもあまり関心のないわたしですが
神乃木さんの感想を読んで塩の街という本の奥を垣間見させてもらった様な気がしました。
一人称だけど三人称であり、三人称だけど一人称なのです。という表現に、有川さんの作品をここまで読み込んで、理解して、優しく受け止めてるのって凄い!!と思い。
あぁこの人本が大好きなんだろうなと思いました。(若干上から目線のようになってしまってすいません。)
「愛は地球を救う、それは綺麗事に聞こえるけども、やっぱり最後は綺麗事が地球を救う。」って言葉にも暖かさと美しさがあってとても素敵だなと感じ、私の心の中の名言集にこっそりと記させていただきました。勝手にすいません(笑)
私は高校1年生なのですが、本の帯に書いてあった
「世界が終わる瞬間まで、人々は恋をしていた」という煽りに釣られて買いました。
読了したいまでは私の期待を良い意味で破ってくれました。
なぜもっと早くこの本に出会わなかったんだろうと思えるくらい
決して優しくは無い、でも激しく強い恋だとおもいました。
私も5年後にまた読み返してみようとおもいます。
今日この記事にあえてよかった
本当にありがとうございます。
こんなインターネットの片隅のブログへコメントを頂きまして、こちらこそ本当にありがとうございます。
そうですね、誰がなんと言おうと好きな作家一位は有川さんなので(笑)、好き好きオーラが出てしまっているのは否めませんね。
5年後というと順調にいけば大学生の頃ですかー。僕は今大学院生ですが、高校1年も大学2年もあっという間の5年間だったなぁって思います(笑)
こんにちは、ブログ拝見しました。
2017年2月の現在、書店で偶然「塩の街」というタイトルに惹かれて何となく購入して読んでいます。Scene-3までなんとか読み終わったばかりですが、作品の感想記事をお見かけしたのでコメントを。
有川 浩さんの”小説”を読むのは「塩の街」が初めてとなりますが、「三匹のおっさん」をドラマでシーズン1から見ていました。この本を買ってから同一人物の作品であることに意外性を感じています。
僕は趣味で短編小説(2000-3000前後の文字数程度)を書いたりするのですが、読んでいて
、この作品は今3人称?誰視点?と思いながら読んでいました。記事を読んでいて確かに、と思う点もあり残りの話も楽しみになりました。
ありがとうございます。